『ロッキー』(1976)でアカデミー脚本賞を獲得し、世界的スターとなっていたシルヴェスタター・スタローンが主演し、当時大ヒットとなったのが『ランボー』(1982)です。
ベトナム戦争がアメリカの大敗で終結し、アメリカがその敗戦を引きずっていて、間もない頃に公開された『ランボー』(1982)。
当時のアメリカでは戦争の後遺症に悩まされるベトナム帰還兵が多くいました。
『ランボー』(1982)はベトナム帰還兵のやりきれない現実と悲哀を描いた作品になっています。
そんな『ランボー』(1982)についてあらすじやネタバレと考察・感想をご紹介していきます。
目次
作品情報とキャスト
作品情報
原題:First Blood
製作年:1982年
製作国:アメリカ
上映時間:97分
ジャンル:アクション
監督とキャスト
監督:テッド・コッチェフ
代表作:『地獄の7人』(1983)、『スイッチング・チャンネル 』(1988)
出演:シルヴェスター・スタローン/吹替:佐々木功ほか(ジョン・ランボー)
代表作:『ロッキー』(1976)、『エクスペンダブルズ』(2010)
出演:リチャード・クレンナ/吹替:内田稔ほか(サミュエル・トラウトマン大佐)
代表作:『ランボー3/怒りのアフガン 』(1988)、『サブリナ 』(1995)
『ランボー』(1982)のあらすじ
ベトナム帰還兵のジョン・ランボーは、共に戦線を共にした戦友を訪ねに山間の田舎町を尋ねるが、戦友はすでに病死していた。
どこにも行くあてのないランボーは食事をとるためとある街を訪れるが、その風体の怪しさから保安官によって連行されてしまう。
ボサボサの頭で髭を蓄えていた怪しげな格好というだけで、警察から執拗な取り調べを受けるランボー。
謂れのない暴力を警察署内で受けたランボーは、ベトナム戦争時代の拷問がフラッシュバックし警察に反撃してしまう。
警察署で大暴れしたランボーは山間に避難する。
ランボーを追う警察と、戦いながら逃げるランボーの血みどろの戦いが始まる。
『ランボー』(1982)の原作は?

ランボーのジャケット:©︎Orion Pictures Corporation
『ランボー』(1982)の原作は1972年に発表された『一人だけの軍隊』(原題:First Blood)です。
『ランボー』(1982)はベトナム戦争終結後に公開された映画ですが、原作の方はベトナム戦争の真っ只中に発表されております。
著者のデイヴィッド・マレルは『一人だけの軍隊』が処女作であり、のちに『ランボー』シリーズの映画をノベライズしています。
当時教員をしていたデイヴィッド・マレルは、彼の教え子の従軍体験をもとに『一人だけの軍隊』の執筆をしました。
原題の『First Blood』の意味と日本語タイトルへの変更について解説

ランボー:©1982 Artisan Entertainment
ここでは『ランボー』(1982)の原題である『First Blood』の意味と「ランボー」日本語タイトルへの変更について解説していきます。
原題の『First Blood』の意味について
『ランボー』(1982)の原題は『First Blood』なのですが、どのような意味なのでしょうか?
『First Blood』を、素直に訳せば「最初の血」という訳になります。
この訳ではなんのことかさっぱりですが、英語の慣用表現で『First Blood』は「先に仕掛ける」という意味で使われています。
ボクシングで最初に対戦相手を流血させた時に使う慣用句は、"draw first blood" 。
『First Blood』とは、この慣用句から取ったものです。
『ランボー』(1982)のクライマックスでは、誰が警察が先にしかけたと、ランボーが大佐に怒りをぶつけます。
『ランボー』(1982)では「誰が先にしかけてたのか」がキーにもなっているので注目です。
邦題・日本語タイトルへの変更について
日本では邦題が『ランボー』という名称で公開されていますが、原題では『First Blood』と全く異なるものに変更されています。
これは、日本の配給会社が変更したものではなく、『First Blood』のタイトルが使用されている国は、アメリカ・イギリス・カナダ・デンマーク・オーストラリアをはじめとした英語圏と一部のみ。
日本のマーケティング戦略によって、邦題が勝手に変更されているような誤解が多いため、このことには注意が必要です。
なぜ、『ランボー』かというと、その真意は不明ですが、アメリカの田舎の町を題材にしながら、ベトナムの帰還兵という設定が普遍的に理解しやすいものではなかったからと考えられます。
そのため、主人公の名前であり、愛称である「ランボー」を取り、主人公が活躍するアクション大作として打ち出すための変更とも考えられるでしょう。
2作目以降、シリーズの題名は英語圏でも "Rambo" に変更されており、第1作である本作も "Rambo" あるいは "Rambo: First Blood" というタイトルで世界的に認知されています。
『ランボー』(1982)の内容を考察

拷問を受けるランボー:©︎Orion Pictures Corporation
『ランボー』(1982)の豆知識について解説してきたところで、物語の内容について考察をしていきます。
真に迫ったアクション
1976年に公開され、今や映画史に燦然と輝く映画となった『ロッキー』(1976)の脚本と主演を務めたスタローン。
今でこそアクション俳優のイメージが定着していますが『ランボー』(1982)当時は、アクション俳優としてのイメージはそれほどまで定着していませんでした。
それでは、いつからスタローンは世界的なアクションスターになったのでしょうか?
それはもちろん、この『ランボー』(1982)からです。
『ランボー』(1982)をご覧になっていただければ、とやかく説明しなくても、スッと理解できるでしょうが、スタローンがとにかく体当たりのアクションをこなしています。
ランボーと警察が山奥で戦うシーンで、ランボーが高所から落下し、木々をクッションにして降下して行くシーンはスタントマンをを使わずに、スタローン自身が実際に演技。
スタローンはこのシーンの撮影で四箇所を骨折する大怪我を負い、右腕に大きな切り傷を負ってしまいました。
しかも、右腕の切り傷は映画の本編にそのまま活かされているのです。
ランボーの右腕からドクドクと流れる流血は本物で、その生々しい傷を自分で縫うのですが、これも本当に縫っています。
本物の傷をスタローン自身が縫っていると知って、『ランボー』(1982)を観てみると、また捉え方が違うかもしれません。
このように『ランボー』(1982)でのスタローンの芝居は、映画の芝居を超えた究極のリアリズムを志向していることも有名です。
ランボーを演じたスタローンの肉体美

ランボー:©︎Orion Pictures Corporation
スタローンの肉体美にも注目すべき点が存在しています。
『ロッキー』(1976)でも素晴らしい肉体を披露していたスタローンですが、この『ランボー』(1982)では、その肉体がさらに洗練。
『ロッキー』(1976)ではやや脂肪が残った筋肉質な体だったのですが、『ランボー』(1982)では余計な脂肪は一切なくなり、ブルース・リーを彷彿とさせるようなキレッキレの体に仕上がっています。
ベトナムの最前線で戦ってきた兵士という設定が、完璧な体によって説得力が増大。
現在70歳を超えたスタローンはバリバリの現役で、いまだに素晴らしい肉体を誇示しています。
そんなスタローンの肉体の原点がこの『ランボー』(1982)ともいえるのです。
ベトナム帰還兵であるランボー
1961年からアメリカも参戦したベトナム戦争は、1975年まで続きました。
大国アメリカは、結局ベトナム戦争で敗北し、何も得られません。
このベトナム戦争は、政治の失敗としてアメリカ国内でも扱われています。
グリーンベレーの精鋭としてベトナム戦争を戦ったランボーは、普通に考えれば祖国の英雄として温かく迎え入れられそうなものなのですが、当時の世相はそうではありませんでした。
ランボーたちが、ベトナムでまさに命をかけて戦っていた当時、アメリカではカウンターカルチャーが勃興し、ベトナム戦争に反対する気運が最高潮に達していました。
『ランボー』(1982)とカウンターカルチャー

話すランボー:©︎Orion Pictures Corporation
カウンターカルチャーとは、既存のルールや体制に異を唱え、より人間性に根ざした生き方を思考する文化のこと。
若者は髪をのばし、髭をボーボーに生やし、フリーセックスを楽しんでいました。
ベトナム戦争は、そんな自由と平和を追求する若者にとっては、攻撃の対象だったのです。
テレビでは連日、ベトナム戦争の悲惨な現場の様子が伝えられており、このことも反戦運動に拍車をかけます。
アメリカ兵による残虐な行いがアメリカ国内にも伝えられていたのです。
ベトナムから帰還してアメリカの空港に着いたランボーが罵詈雑言を浴びせられたと、クライマックスのシーンででランボーが吐露したように、当時のアメリカでは帰還兵は肩身の狭い思いをしていました。
命からがら帰ってきた帰還兵は英雄として迎えられることなく、殺戮者として迎えられていたのです。
『ランボー』(1982)が描き出すPTSD・心的外傷後ストレス障害
『ランボー』(1982)は、PTSDについての映画として捉えることもできる作品。
PTSDとはPost Traumatic Stress Disorderの略で、日本語で心的外傷後ストレス障害と訳されます。
PTSDは、生命の安全が脅かされるような強い精神的な経験が原因で、発症する精神疾患です。
症状としては不眠や感覚の過敏、手先の震えなどがあり、暴力傾向が強くなるといった症例もあります。
戦場から帰還した兵士が多く罹患することもあり、映画『アメリカン・スナイパー』(2014)でもその実態が描かれていました。
警察から謂れのない言いがかりで署に連行されたランボーは、拷問にも近いような暴力で尋問を受けます。
その尋問の際に、ベトナムで受けた苛烈な拷問の記憶がフラッシュバックするランボー。
この描写は明らかにPTSDの症状を描写しています。
ランボーがPTSDに羅漢していたと考えれば、その後の大暴れの説明が理解できるでしょう。
PTSDを描いた作品は今でこそ多くありますが、1982年当時はそこまで多くはありませんでした。
『ランボー』(1982)は一足早くPTSDという病を世間に認知させた作品であるといえます。
『ランボー』(1982)のラストシーン

ランボー:©︎Orion Pictures Corporation
警察署で大暴れを繰り広げたランボーは、周囲を警察にに囲まれて絶体絶命の状況に追い込まれます。
そこにトラウトマン大佐が現れ、ランボーに降伏するよう説得。
ランボーとトラウトマン大佐の会話劇が意外なことに『ランボー』(1982)のクライマックスになります。
それまで感情を表にださなったランボーがついに感情を爆発させ、思いの丈を吐露。
「先に仕掛けてきたのはあいつらだ!」
このセリフによって原題の『First Blood』の意味がわかります。
あくまでも喧嘩を売られただけで、自分からは仕掛けていないとランボーは主張するのです。
半沢直樹もびっくりのやられたらやり返すの精神。
クライマックスでランボーがぶちまける主張は真っ当といえるでしょう。
祖国のために身を粉にして戦地を駆け巡ったのに、アメリカに帰ってきたら、駐車係の仕事にもつけず、世間からはベトナム帰還兵として疎まれる…‥。
アメリカのために戦ってきたのに、アメリカは自分を受け入れてくれなかった……。
ランボーがブチギレたのは、警察のちょっかいだけではなく、アメリカに対してもです。
ランボーはトラウトマン大佐が止めに来なければ、アメリカ合衆国とも1人で戦っていたでしょう。
『ランボー』(1982)の主題

ランボー:©︎Orion Pictures Corporation
国のために尽くしてきた男が、国に冷遇されるというのが『ランボー』(1982)の主題です。
国というのは体制やシステムではなく、ここでは世間や空気のことです。
ベトナムではエリートだったランボーが、平和な祖国に帰ってきたら浮浪者のような扱いを受けてしまう……。
『ランボー』(1982)は戦争がもたらす副作用を見事に描いた作品であります。
『ランボー』(1982)のまとめ

銃を撃つランボー:©︎Orion Pictures Corporation
「先に仕掛けてきたのはあいつらだ!」。
このセリフが全てを表しているように思います。
実生活でも似たようなことを経験した方も多いのではないでしょうか。
平和に穏便に暮らしたいだけなのに、横槍を入れて来る輩がいますよね。
職場や学校で喧嘩を売られたり仕掛けられたら、『ランボー』(1982)を思い出すといいかもしれません。
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