『月に囚われた男』は、ダンカン・ジョーンズの初監督作品。
500万ドルという映画としては低予算で製作された作品でした。
製作期間も33日間で完成させた本作は、予算を抑えた製作であるため、通常SF映画と比較すると相性はよくありませんでした。
それを彼はCM制作の経験を活かし、月面のシーンに模型を用いて撮影しています。
コストカットをアイデアで乗り越え、表現しきった『月に囚われた男』(2009)は、初監督ながら、類まれな才能をいかんなく発揮しています。
これから『月に囚われた男』(2009)のあらすじと感想をネタバレ込みで紹介していきます。
目次
『月に囚われた男』(2009)の作品情報とキャスト
『月に囚われた男』(2009)の作品情報
原題:MOON
製作年:2009年
製作国:イギリス
上映時間:97分
SF、スリラー
監督とキャスト
監督:ダンカン・ジョーンズ
代表作:『ミッション:8ミニッツ』(2011)『ウォークラフト』(2016)
出演者:サム・ロックウェル/吹替:平田広明(サム・ベル)
代表作:『スリー・ビルボード』(2018)『グリーンマイル』(1999)
出演者:ロビン・チョーク/吹替:平田広明(サム・ベル(クローン))
出演者:ケヴィン・スペイシー/吹替:石塚運昇(ガーティの声)
代表作:『アメリカン・ビューティー』(1999)『ユージュアル・サスペクツ』(1995)
『月に囚われた男』(2009)のあらすじ
近未来、地球の主要エネルギー資源は、月面で採掘されるヘリウム3となっていた。
宇宙飛行士サムは、ヘリウム3を地球へ送るため、たった一人月面基地で暮らしていた。
退屈な基地生活で唯一の話し相手は、人工知能ガーティだけ。
しかし、この仕事も3年の契約満了まで残すところあと2週間。
そんな中、探査車両運転中だったサムは頭痛に襲われ、事故を起こし致命傷を負う。
基地で治療を受けるサムだったが、そこに突然、若い頃の自分とそっくりの男が現れる...。
『月に囚われた男』(2009)の3つの見どころ
見どころ①:孤独と戦う主人公の強さ
本作は、月の裏側の基地でただひとり生きる男の物語。
サム演じるサム・ロックウェルの一人芝居は、人間の強さと弱さを見事に表現しきっています。
見どころ②:サム同士、そしてサムとガーティのつながり
近未来SF作品として象徴的なシーン。
基地で何が起きているかを解明すべく、最終的に絆を深める様はとても感慨深いです。
見どころ③:思いがけないラスト
ラストシーンは希望を見せる締めくくりと思いきや、結末を描ききらない演出。
観た者の作品に対する考察を促す仕掛けに、思わず知的欲求がたかぶります。
『月に囚われた男』(2009)の感想【ネタバレあり】
まず、本作をひととおり見て思った感想は、ずいぶんと淡白な作品だったということ。
しかし、『月に囚われた男』(2009)に隠されたメッセージや表現に気が付いて行くたびに物語の厚みがまして行きました。
作品にまつわるエピソードや情報なしで視聴すれば、月面基地に男1人という話のため、出来事が起こりにくい舞台なのは理解できます。
『月に囚われた男』(2009)もまた人間ドラマであったということは、後にわかりました。
鑑賞後にようやく思考が追い付いてくる感覚を覚える人も多かったようです。
以下、人間的な部分に焦点を当てて感想を述べていきます。
人を突き動かすのは、心の強さ
本作を鑑賞して驚くのは、サムの精神力の強さ。生きようとする力。
そもそも、ライブ通信の途絶えた月面基地で3年間、実質1人の生活。
想像するだけで気を病んでしまいそうです。
サポート役兼話し相手としてガーティこそいたものの、所詮は機械。
ガーティは人工知能ですが、人間の機微までは学習できていない様子。
サムの気持ちをかえって逆なでしてしまうことだって、多かったに違いありません。
それでも、サムは気が触れることなく、ガーティとも良好な関係を築いていました。
地球から依頼された月での仕事もそつなくこなしています。
彼には、彼を彼たらしめるだけの支えがあったのです。
それが、愛する妻テスと、娘のイヴの存在。
家族からの録画メッセージが届くと、サムは食らいつくように見入ります。
「妻と娘が自分の帰りを待ってくれていること」父親として、こんなにうれしいことはありません。
孤独な環境に3年もの間居続けている身であればなおさら、喜びは強かったに違いありません。
サムにとって、愛する家族は唯一かつ最強の拠りどころ。汗水流して必死に働く活力になっています。
家族のために生きて行こう!とする心の強さ。
それは意志というべきか、あるいは覚悟というべきか...。
決心した人間の精神力が放つエネルギーの強さが、ひしひしと感じられます。
前に進むための真の力とは心の強さなんだと、まざまざ思い知らされました。
敵である対象に歩み寄る人間同士の絆
自分とうり二つの物同士が、ぶつかりながらも和解していく姿。
そして、大きな陰謀めいたものにともに立ち向かっていくシーン
多くの物語が今なお語ることの多い王道展開は、本作にも見られます。
帰還まで残り2週間のところまできたビル。しかし、サムが運転していた探査車両は掘削機に巻き込まれてしまいます。
ところかわって、サムは基地内で目を覚まします。
サムは体を徐々に慣らしていくも、ガーティは「休め、外に出るな」の一点張り。
疑問に思ったサムはガーティをあざむき、外に出て探査車両を走らせます。
事故現場の壊れた探査車両を調べると、中で人が倒れていました。
サムが車両から連れ帰ってきた人物は、なんとサムでした。
便宜上、ここからは今までのサムを旧サム、もう1人を新サムと呼びます。
ここから、2人のサムとガーティの奇妙な生活が始まります。
間もなくの帰還に気がはやる旧サムと、とまどいといらだちを隠せない新サム。
二人はたびたび衝突します。
それでも話していくうち、両者はともに同じ記憶を持っていることを確認。
似た者同士、2人の間にはいつしか強い絆が結ばれていました。
そして、新旧サムはこの基地の違和感の正体を暴きにかかります。
クローンと人工知能の奇妙な友情
作業区外の調査中、サムは急に吐血してしまい、いったん基地に戻ります。
戻ったサムは、今まで送信していたメッセージを見ようとします
しかし、いくら試してもアクセス認証を突破できません。
するとガーティがパスワードを入力し、ロックが解かれます。
そして、ここにいるサムは全てクローンだということを明かします。
この展開を読めなかった人多かったのではないでしょうか?
まさかガーティがこんなにも協力的になるとは。
今まで、ガーティはサムたちと対立する存在だと思っていたからです。
「私はサムをサポートする」とは、このシーンを象徴するガーティの一言。
これは、合理的にではなく、サムの人柄を優先した判断ともとらえられます。
もしかしたら、ガーティとサムとの間にも友情が出来ていたのかもしれません。
人工物の不完全性
送信したメッセージには、過去のサムたちの最後の通信。
その他、帰還ポッドらしきものに乗り込むときの映像がありました。
ポッド内に入ったクローンはたちまち焼却されてしまいました。
ルナー産業は、はじめからサム・ビルのクローンを3年更新で運用していたのです。
その後、旧サムは地下へと続く通路を見つけ、大量のサムのクローンを発見します。
この一連を見て筆者が痛感したのは、人間の不完全さです。この不完全さを、本作はありありと見せつけています。
サムクローンも、ガーティも、人間によって作られた存在です。
そして彼らは、決して完璧ではありません。
この点が最もよく表れているのが、物語後半で手のひらを返すガーティの言動でしょう。
一方、サムからも不完全性が見てとれます。
事故後の旧サムはみるみる衰えていきます。
それは体調不調というよりもはや、勝手に死に絶えていく状態です。
これは、クローンの生命維持の限界を意味するものだと考えられます。
つまり、サムクローンが生きられるのはたったの3年。3年という期間が計算されたものだとは思えません。
むしろ「3年間しか持たせられなかった」と考えるべきでしょう。
人間が完璧ではないからこそ、人造の物には限界があるということ。
核心をつかれた感覚を覚えました。
不完全な存在を描くことで見えてくる人間味
クローンは、様々な物語で取り上げられてきた題材です。
そして、クローンの話題には常に倫理的な問題がつきまとうもの。
人が人を作り上げるという行為は、倫理の一線を超える禁忌に値します。
そのため、多くの作品は「クローンは完成できない」というアンチテーゼを背負います。
この対立する考えこそ人間自体の不完全さを表現しているのです。
不完全な人間が作る不完全な存在を描くということは、逆説的に人間らしさを際立たせます。
ガーティ然り、2人のサムもまた然り。
クローンや人工知能だからこそ、彼らが織りなすドラマはまさしく人間のそれなんです。
本作は、不完全なもの同士の化学反応に真摯に向き合った作品だといえます。
サムが人間を取り戻すエンディング
間もなく救助班が到着してしまう中、新しいサム(新サム)は古いサム(旧サム)に地球に帰れと言います。
しかし余命間もないサムは、余命が長いサムにお前が帰るべきだと主張。
新サムは、旧サムの提案を受け入れます。
間一髪、新サムの乗ったヘリウム3輸送ポッドは地球へと向かいました。
地球に着いた新サムは、自らクローンであることを明かし、ルナー産業の実態を暴露。
しかし、ルナー産業は新サムの告発を「イカレ野郎だ」と切り捨てます。
物語はここで終わり、なんとも言えない幕切れです。
とはいえ、「救い」ようのあるラストだったので、見ていた側としてホッとしました。
ここで救いがなければ、サムがあまりにも報われません。
結局、新サムがどうなったのかはわからないままでしたが、本作はこの部分に重きを置いてはいません。
より重要なのは、新サムが旧サムの気持ちを受け取って、無事地球に帰還したことでしょう。
新サムは、過去全てのクローンサムの「帰りたい」という意志の総意を表しています。
サム・ベルの「帰りたい」という気持ちを一心に背負い、体現した者です。
新サムはようやく人間のサム・ベルとなることができたのです。
ルナー産業の悪事が明らかになったカタルシスに加え、サムが人間を取り戻すラスト。
「人間の物語」として締めくくられたことに、本作の持つ奥深さが感じられました。
『月に囚われた男』(2009)の主題
『月に囚われた男』(2009年)は、人間の不完全さ、そこから見える人間の奥深さを主題としています。
本作の主要人物はクローンと人工知能。
あえて人間でないものを描く手法をとることで、見る者に客観的視点を与えます。
これにより、人間というものに神経が集中していくのです。
ダンカン・ジョーンズは、こう話しています。
濃密な人間関係と魅力ある宇宙空間を両方描きたかった
本作はその言葉通りの仕上がりになっています。
SF作品ながら、人間を見事に描ききった点は、本作最大の評価ポイントといえます。
まとめ
ダンカン・ジョーンズ監督は、もともと『月に囚われた男』(2009年)をインディーズで製作していました。
配給もビデオのみの予定でしたが、サンダンス映画祭の評価を受け、劇場公開に変更。
興行収入はよく、ダンカンの知名度は一気に知れ渡りました。
その後ダンカンは、本作のSF考察のためNASAに呼ばれることにもなります。
研究対象にまでなり得たSFシーンは、十分にリアリティと説得力があります。
なおかつ、人間ドラマも繊細に描かれている本作。
『月に囚われた男』(2009年)は、SFもドラマも見たいという欲張りな方におすすめの一作です。
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